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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる年光東流水(年光東流の水)漢詩文・白楽天
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閉じる北の方から香炉の灰をあびる髭黒大将
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オススメ度 4.2点
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自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。【中古】 財政原理学説 (1951年)。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。【中古】 戦後日本小史 下巻 (1960年)。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。【中古】 財産なき支配 (1960年) (論争叢書)。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【中古】 疑惑と狂信との間 (1968年) (ヒューマン選書)。現在の今上天皇と系譜がつながっている。経本 臨濟宗妙心寺派勤行聖典 1冊揃 検索 臨済宗 妙心寺 天台宗 勤行式 仏教 真言宗 寺院 宗教 和本 唐本。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。●極上和本YM3327●〈江戸〉新用文章(村田板・頭書絵抄、寛文板系統)稀書往来物。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。【中古】 帝劇の五十年 (1966年)。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。【中古】 人間の探求。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。【中古】 決断 第1-2 (1960年) (三一新書)。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。南北史合注 全4冊 中文 李清著。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。【中古】 気体放電現象 (1964年)。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。明慧上人伝記・明慧上人行状記・漢文 明慧上人行状記 3冊セット/奥田正造 編/森江書店。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。稀少 本朝高僧詩選 江戸 初刷 検索 高僧二十四人 栄西 道元 仏教 高僧六十六人 恵廣 和本 唐本。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。【中古】 鉱業権の研究 (1960年)。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。【中古】 精神力を活かす (1955年)。また、各巻ごとの書かれた年については不明。【中古】 不安の人間学 (1963年)。従って、応永五年とは、書き始めの年である。【中古】 基地の子 この事実をどう考えたらよいか (1953年)。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。【中古】 明日を経営するもの (1960年)。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。【中古】 人間はねえ (1983年)。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。【中古】 地図投影法 (1983年)。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。【中古】 茶碗 第5巻 日本 (1967年)。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。紅閨秘筺 A PSYCHOANALYTIC STUDY OF DRE COΙΤΑΙ ΤΕCUNIQUES。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。【中古】 人間と経営 トップビジネスマンとの対話 (1971年)。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。古文書 和書 栗田勤 「大嘗祭の意義」 講演記録 歴史資料 茨城県 偉人 珍品 晦屋先生 (レターパックライト発送)。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。【中古】 地質構造とその研究 (1952年)。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。【中古】 創意を生かす経営 (1959年)。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。江戸 和本 浮世絵 国貞 26面 春画 等 木版 艶本「ゆめあはせ 下」全ページ 二色摺 三色摺 皆殺 生首 血しぶき 宙舞う片腕。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。【中古】 日本塗料工業史 (1953年)。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。【中古】 スタニスラフスキイ読本 (1955年)。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。【中古】 風物・人物・書物 (1954年)。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。★唐本 漢籍 蘇軾 蘇文忠公詩集 11冊★。第31帖。【中古】 裁判と正義 (1957年)。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。【中古】 夜学の歴史 日本近代夜間教育史論 (1964年)。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。西洋事情。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。【中古】 歌舞伎図説 (1931年)。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。書画薈粋 第二編3巻 3冊 畑時倚毛義輯 燕石楼蔵板 検索 誹諧 俳諧 日本画 和本 唐本。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。▼ 【計4冊 費暁楼先生 百美図韻 費丹旭】182-02404。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。【中古】 日本門牆史話 (1948年)。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 たばこ紳士 (1967年)。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。銅版画 銅鐫新刻釈尊御一代之畫圖 銅版刷 袋付 検索 涅槃図 仏教 仏画 釈迦牟尼仏 曼陀羅 曼荼羅 和本 唐本 古文書。白楽天の有名な漢詩です。『初学文章目録 上』寛永11年 西村又左衛門梓行 印記「相良蔵書」江戸時代和本 作文・綴文指南書。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。【中古】 宇宙への道 (1961年) (ポケット・ライブラリ)。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。はなのわたり 俳諧 宜彦編。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。【中古】 生物学の革命 (1960年)。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。【中古】 基礎物理学実験 大学実習 (1966年)。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。【中古】 原始仏教 (1956年) (サーラ叢書 第4 )。詳細な理由は下記説明欄に記載。【中古】 作曲家の世界 (1955年)。
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。古版 江戸初期 寛永13年 西村又左衛門新刊 浄土文類聚抄1冊 検索 仏教 和本 唐本 経本 古文書。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【中古】 むらさきくさ 日本色彩の文化史的研究 (1956年)。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。【中古】 呼び屋 その生態と興亡 (1966年) (フロンティア・ブックス)。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。1932年 茶道 茶器 検索⇒裏千家 茶之湯 利休居士 本勝手 炭手前 風炉 隅炉 點茶 千宗室 茶器 茶碗 茶入 水指 茶釜 茶筅 茶巾 點前 棚荘方。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《こと(事)を》・・・・・い(言)ひさまた(妨)けんも人の
こゝろ(心)を(置)くへし、とおほ(思)せは、「ともかくも、
もとよりしむたい(進退)ならぬ人の御事なれは」とそ、
き(聞)こえ給ける。鄙事記。六条殿そ、いとゆくりなくほい(本意)なしと
おほ(思)せと、なとかはあらん。【中古】 近代土地所有権の成立過程 (1958年)。女も塩やく煙のなひ(靡)きける
かた(方)を、あさましとおほ(思)せと、ぬすみもてい(行)き
たらましとおほ(思)しなすら(准)へて、いとうれ(嬉)しく
心ち(地)おちゐぬ。【中古】 織物の知識 (1955年)。かの入ゐ(居)させ給へりしこと(事)を、
いみしうゑんしき(聞)こえさせ給ふも、心つきなく、
なをなをしきこゝち(心地)して、よ(世)には心と(解)けぬ
御もてなし、いよいよけしき(気色)あし。【中古】 最新毛織技術と毛織物解説 (1956年)。
かの宮にも、さこそたけうのた・・・・・・《まひしか》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。【中古】 あなたも忍者になれる (1966年) (クラウンブック)。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《冷泉天皇、玉鬘の姫君に愛の心情を告白》
《髭黒大将、尚侍の君(玉鬘の姫君)を宮中から退出させ自宅に招き入れる》
《穏やかにこしらえ言をお申しあげになって、大将(髭黒大将)は、
女君(玉鬘の姫君)をそのままさっさとお邸にお引き取りになる。一魁漫画。
女君(玉鬘の姫君)の父内大臣は、突然のことなので、
(内大臣)「こうした略儀ではどうだろうか」
とお気になさるけれども、しいてそれくらいのことに》・・・・・異議をとなえるのも
大将(髭黒大将)が気をわるくするだけのこととお思いになって、
(内大臣)「どうなりと、よろしいように。【中古】 ケルンに生きる 第4 遭難の手記 (1961年)。もともと私の自由にならないお人なのですから」
とご返事申されるのであった。1943年 写真文化 汪精衛 検索:支那 中華民国 蒋介石 関東軍閥 憲兵 国民党 督軍 生写真 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 満鉄 租借地事変。
六条の大臣(源氏の君)のほうは、まことに不意のことでご不満であるけれども、
どうなるものでもあるまい。【中古】 経済構造の連関分析 (1963年)。女(玉鬘の姫君)も、塩やく煙のなびくことになって
しまった意想外なわが身の上を嘆かわしくお思いになるけれど、
ひとり大将(髭黒大将)は、大事な宝を盗み取ってでもきたような思いがして、
じつにうれしく、やっと気持も落ち着いた。宝暦版 新撰伊勢道中細見記。
あの、帝(冷泉天皇)が女君(玉鬘の姫君)のお部屋にお入りあそばしたことについて、
大将(髭黒大将)がひどくいやみを申しあげなさるのも、女君(玉鬘の姫君)には
不愉快であるし、この夫(髭黒大将)がおもしろみのない平凡な人のように思われるので、
まったく心を閉ざしてよそよそしくおあしらいになり、
いよいよご機嫌わるくしておいでになる。【中古】 電気技術時代の音楽 (1963年)。
あの式部卿宮(髭黒大将の正室・北の方の父君)家でも、
あれほど強いことを・・・・・《おっしゃったものの、今となってはどうしてよいか
ひどく困っていらっしゃるけれど、大将(髭黒大将)からはまるで音沙汰がない。●極上和本YM4728●英和書翰(初編) 高実広作 ワクマン校閲 明治5年 往来物・外国語 英学資料。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。s※** 明治期 神職宝鑑 上下編 2冊 揃い 半井真澄 明治32年 神道 祭具 古文書 和本 古書 当時物 /N54。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
Though Tono Chujo thought it all rather sudden and unceremonious,
he did not want to risk offending Higekuro.
"Do as you see fit," he said.
"I have not had a great deal to do with her plans."
Genji was startled but helpless.
The lady was a little startled herself at the direction in
which the smoke was blowing.
Higekuro was enjoying the role of lady stealer.
She thought he had behaved very badly,
showing his jealousy of the emperor so openly.
A coarse, common sort of man―she made less attempt than
ever to hide her distaste.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
反正此事非我所能左右。【中古】 エイゼンシュタイン 下 1933-1948 (1968年)。”源氏之,得此事唐突,
殊非始料所及,但也不便干。【中古】 ことば遊び辞典 (1959年)。
玉蔓想起自身像上的青烟一般“随泊”,
自命苦。【中古】 論理学 (1958年)。但髭黑大将佛盗取了一个美人来,非常喜,
心意足。【中古】 太平洋戦争の諸作戦 第2巻 (1956年)。了冷泉帝晤玉鬘之事,髭黑大将常嫉。【中古】 時間と時制 (1956年)。
玉鬘此不快,看不起髭黑的人品,
从此他度冷淡,心更加劣了。長谷川伸旧蔵書 大須賀次郎著『磐城史料』(全2冊揃)明治45年 小山裕五郎刊(磐城国石城郡平町)明治時代和本 福島県いわき市郷土史料。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。(古本)中国の思想 全12巻+別巻 全13冊組 西野広祥ほか 徳間書店 SV0019 1996発行。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。【中古】 ストリンドベルクとファン・ゴッホ (1959年)。冬姫は内大臣・通誠の養女。QW1978】万延元年【家屋図面?八卦図?163年間保管した物】設計図。
冬姫は通称。【中古】 売れる言葉買わせる言葉 (1958年)。正式な名は伊達貞子。【中古】 日本の伝統織物 (1967年)。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。昇平鼓腹三府膝栗毛 松村春輔/著 安達吟光/画 明治14年 2編 3編 改装本 2冊。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。【中古】 男たちのバラード (1979年)。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―32B
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰を浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。古文書●明治31年 軍歌書 13丁 新潟県南魚沼郡南五十沢村 現在の南魚沼市 240602。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。【中古】 行動科学事典 (1966年)。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。増谷文雄著作集 全12冊 増谷文雄。白楽天の有名な漢詩です。【中古】 雨雀自伝 (1953年)。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。【中古】 財政学 (1954年)。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。『燕石雑志』 曲亭馬琴 文化8年 5巻 全6冊 随筆。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。【中古】 関税の知識 (1963年) (日経文庫)。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。【中古】 日本政党史 上 下巻 (1927年)。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。写本 藤堂高兌『聿脩録』(全二巻揃・五分冊)戦前期成立 藤堂高虎伝 伊勢津藩第十代藩主 三重県郷土史料。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。【中古】 或る男の首 (1955年) (Hayakawa Pocket Mystery 232)。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。十三朝紀聞。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。中国古代官職 唐管鈔 上中下合本1冊揃 寶暦3年文泉堂初刷 検索 和本 唐本 古文書 法律 古文書。撮影後、展示のために再表装をしております。葛飾北斎『北斎臨画初篇』江戸後期刊 江戸時代和本 彩色木版画譜 題箋及び序は「北渓漫画初篇 全」魚屋北渓。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。出羽國亀田藩6代藩主 岩城隆恭(改名前書:隆光⇒隆恭)『家臣宛て書状』〔紙本肉筆真作〕/大名 古文書 詩文 家臣 神谷軍隊長 松館。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。諸礼大学。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。【中古】 地方公営企業論 (1965年)。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。【中古】 日本食肉史 (1956年)。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。★B20和本江戸安永9年(1780)木版本「古今和歌集」乾坤2冊揃い/古書古文書/木版摺り。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。【中古】 技術革新の普及過程 (1966年)。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。【中古】 ヨッフェ回想記 (1963年)。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。【中古】 マッテイ 国際石油資本への挑戦者 (1969年) (世界の企業家 7 )。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。【中古】 通信工学ハンドブック (1957年)。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。【中古】 経済人の終わり 新全体主義の研究 (1963年)。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。【江戸初期から中期の過去帳】 伊豆大島島司・大嶋亨蔵 歴史文化史料 N0324A。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【中古】 映画と民族 (1942年)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。【中古】 アメリカ保守主義の伝統 (1964年) (社会科学ゼミナール 32 )。母は後水尾天皇皇女女二宮。藤沢南岳・増村度次・武石貞松序 山田寒山篆刻 丸田桜隠著『桜隠七十寿詩』大正5年序刊 漢詩集。実母は近衛家女房(瑤林院)。【中古】 羨望と感謝 無意識の源泉について (1975年)。幼名は多治丸。【中古】 墓に唾をかけろ (1967年) (コレクション・アモール)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。中原淳一ひまわり附録。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。ロシア革命史 リチャード・パイプス/西山克典訳。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。【中古】 日本のことわざ 第5 講説 (1961年)。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。【中古】 蒸気表および線図 (1950年)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。【中古】 教育の森 第5 家庭と学校 (1966年)。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。【中古】 仏教の根本真理 仏教における根本真理の歴史的諸形態 (1956年)。
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